スポニチ 好奇心───2003年(平成15年)9月16日(火曜日)スポーツニッポン(28)
阪神タイガース優勝 平成球心蔵
ありがとうタテジマの衣の球士たち

人間は歓(よろこ)びたい
人間は歌いたい
人間は踊りたい
人間は夢みたい
人間は信じたい
人間は熱中したい
そして
人間は 正直に 正直に
嬉(うれ)しいと叫びたい
さらに さらに
今ある幸福をしっかりと掴(つか)み
半分を同じ志の人に分け与えたい
そうなのだ 阪神タイガースの優勝は
一球団の勝利にとどまらず
善意の人間のささやかな願いを
一気にまとめて
実現させて見せたことなのだ

阪神タイガースは忠臣蔵だ
いや 球心蔵だ
日本人が好きで好きでたまらない
男たちの夢と悲劇をはらんだ
しかし しかし
決して敗られざる者たちの物語だ
見捨てられ 忘れられ
踏みつけられた時代に耐えて
傷だらけの浪漫(ろまん)を抱きしめ
球士の人々よ
きみらは熱く熱く生きてきた
それは たぶん
時代の息苦しさをつき破りたい
庶民の祈りと同じもので
だからこそ 甲子園球場に
黄色い大津波を起こし
「六甲おろし」を嵐に変え
暗雲を払いのけ
この日を 今日という日を
引き寄せたのだ

人間は時代に埋没して
人間の生き方と人間のドラマを
すっかり忘れていたのだ
ただ ただ 不機嫌に過し
暗い現実と見えない未来に
苛立(いらだ)っていたが
星野仙一を筆頭とする
タテジマの衣の球士たちよ
きみたちが きみたちが
歓びに泣くことを
涙が熱いことを
思い出させてくれたのだ
さあ 明るく生きよう


97年本紙で連載
阿久さん「球心蔵」が現実に
タイガースに捧ぐ

1997年2月1日から7月31日まで、ぼくは、スポーツニッポン紙上に「球心蔵」という小説を連載した。単行本のあとがきにこういうことが書いてある。
───形を変え、解釈を変えながらも、毎年暮になると「忠臣蔵」が登場してくるのはなぜだろうということと、負けても負けても阪神タイガースのファンが減らないのはどうしてだろうということは、ぼくにとって、「日本人の謎」でした。
この小説、どん底の阪神タイガースが翌年、社会の非難と軽蔑の中で優勝してしまうというSF野球小説で、「忠臣蔵」を下敷きにしてある。そして、「日本人の謎」にも挑戦している。
ストーリーは別にして、この小説に期待したのは、小説中にちりばめられたアフォリズム(警句)の数々で、それを美意識として伝えたかった。
それから6年、物語は少し遅れて予言通りに解決したが、ぼくは、今年の星野タイガースの勝ちっぷり、生きざまをみて、実に警句に似合っていると思ったのである。この警句は、目的を失った男たちと、緊張を忘れた日本に対して発せられている。
優勝を祝う場面にふさわしいかどうか、しかし、ぼくは、心ある祝辞として、そのいくつかを並べてみたいと思う。

負けても美しく、下手でも感動を呼ぶのが野球やないか。
もう、笑われながら野球をやるのは厭だ。
落日ですよ。ほっときゃ海に沈んで夜になります。
仲良きことはおぞましきかな。
やってみなくちゃわからないのが勝負事です。やる前にわかっているのが芝居です。
闘牛士にならんかい。勇気と誇りを持って牛に対わんかい。勇気には知恵が必要だし、誇りには度胸が不可欠や。
地獄の存在を知らない者に、天国の価値はわからない。
厳しい人間と鬼とは根本的に違う。鬼にはなかなかなれん。
独りよがりの信念もまたサボタージュです。
胸を張って下さい。下を向くと志が低くなります。